中華帝国の変遷

2014年2月13日 日常
秦-漢と隋-唐.中華世界を統一した王朝が速攻で滅び,その後を襲った王朝が長期政権を維持するという順序に共通点がある.これにはおそらくは相応の理由がある.秦の次の王朝である漢は行き過ぎを多少手直しした程度で,統治システムは基本的に秦のそれを引き継いでいる.随-唐はもっとわかりやすく,隋時代に開通した大運河によって唐は莫大な利益を得た.2つの「継承」において重要なのが,それらのマイナス面は前王朝が全部被ってくれたことだ.秦は法治主義を導入したが,それを使いこなせるのは始皇帝ぐらいのもので,彼の死後帝国はあっという間に滅亡した.そして大運河造成に民を酷使した煬帝は憎しみを一身に背負って破滅したというわけだ.だが,後者が前者から継承したうちで最たるものは,他ならぬ「統一」そのものに違いない.敵対勢力を全部倒してくれた王朝が倒れたのなら,後はその空白を埋めるだけでよい.

ところでこのパターンはごく最近になって3つ目の例がある,それは言うまでもなく中華民国-中華人民共和国であり,後者は前者から皇帝の廃止,共和政を継承した.だが漢や唐と違い,中華人民共和国がその「遺産」を十分活用しているかというと疑問である.

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