利という誘惑

2012年10月27日 TCG全般
鷲頭巌は次のように言った。

自分の「不利」に目をつぶり突っ走ることはできても、自分が現実に手にした有利・・・「利」は離せない・・・「利」とはそれほど甘美なのだ・・・!

同じことがMTGにも当てはまる。例えばInv.Tezzを使っており、先手で[Library of Alexandria、島、Force of Will、商人の巻物、思案、闇の腹心x2]という手札を得たところで(相手は不明とする)Alexを出し、そのままパスしたとしよう。次のターン、相手はMishra’s Workshopから抵抗の宝球三なる宝球を出してきた。当然FoWすべき所なのだが、「ここで手札を使ったら図書館を起動できない。それに、次に2枚引くうちにMoxがあれば十分戦えるはずだ」などと滑稽なことを考えて見逃してしまう、という事はないだろうか。頭では分かっているにも関わらず、僕もたまにやってしまう。Alexでドロー連発という甘美な利は、マナが詰まるかもしれないという不利を容易く押しのけ、プレイヤーに誤った道を走らせることとなるのだ。この例をもう少し掘り下げると、そもそもMUD相手にはドローよりマナの方が重要なので、Alexというのがそこまで神卡ではなくなってくる。マジック最高の7枚を握りしめながら撲殺されるより、相手の腰にしがみついてでも勝ちを拾う方が上等というものである。

虚無の呪文爆弾なんかもこの法則に当てはまる。黒マナがないところにこれを起動する必要に迫られたとしよう。相手がドレッジで、墓地にゴルガリの墓トロール2枚、ゴルガリの凶漢、臭い草のインプ、陰謀団式療法、黄泉からの橋3枚、イチョリッドが落ちたとか、リアニメイトでグリセルブランドが吊りあげられようとしているとかなら、そりゃあ1ドローが惜しい等と言っていられないから、起動の一手だ。だがエンド前に瞬唱が出てきて、墓地の渦まく知識を指定した─程度ならば、どうするだろうか?もちろんその他の状況にも左右されるが、基本的には起動すべきだろう。虚無の呪文爆弾を何のために入れたのか思い出せば、自然とこの結論に辿り着くはずだ。ドローは割の良いオマケにすぎない。だが、僕が日本人で勿体ないという美徳を備えているためか知らないが、こういう時に「ドローもできないのに起動したのではアドバンテージを失ってしまう」等とくだらないことを考えてしまう。瞬唱をカウンターできなかった時点でアドが取られることは確定しているというのに、全く愚かである。この時点でプレイヤーが考えることは、そのアドの取られ方をどういう形にするのが一番被害が少なくて済むか、だ。そこへ行くと、自分の1ドローと相手の1ブレスト、どちらが高価かという話になる。いや、もっと単純に考えて、この局面で自分の手札にMステがあったとしてブレストをカウンターしないだろうか?普通はするだろう。そしてこの場合、そのMステはコストを払わなくて済むうえ、墓地を一掃してくれるというサービスまで付いているのだ。

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